秋も深まる今日この頃、皆様お元気にお過ごしでいらっしゃいますか?私といえば、秋花粉のビッグウェブを乗り越えつつ、土地探しで彼方此方車を走らせております。久しぶりに訪ねた土地や街が変わっている様子をみるにつけ、土地や街は生きているんだなぁっと、しみじみ思います。個人的に東に広くひらけた堰の畔に立つ小さな焼き鳥屋物件にひどく心惹かれました(笑)鬼奴さんのルックスで歌が上手くて器が大きかったら、こんな所で飲み屋の女将さんなんて悪くないと憧れます。そんなことを考えながら、茨木のり子さんの詩をぼんやり思い出していました。本を持って旅にでたくなる秋ですね。

 

お休みどころ    茨木のり子

むかしむかしの はるかかなた

女学校のかたわらに

一本の街道がのびていた

三河の国 今川村に通じるという

今川義元にゆかりの地

白っぽい街道すじに

「お休みどころ」という

色褪せた煉瓦いろの幟がはためいていた

バス停に屋根をつけたぐらいの

ささやかな たたずまい

無人なのに

茶碗が数個伏せられていて

夏は麦茶

冬は番茶の用意があるらしかった

あきんど 農夫 薬売り

重たい荷を背負ったひとびとに

ここで一休みして

のどをうるおし

さあ それから町にお入りなさい

と言っているようだった

誰が世話をしているのかもわからずに

自動販売機のそらぞらしさではなく

どこかに人の気配の漂う無人である

かつての宿場や遍路みちには

いまだに名残をとどめている跡がある

「お休みどころ・・・・やりたいのはこれかもしれない」

ぼんやり考えている十五歳の

セーラー服の私がいた

今はいたるところで椅子やベンチが取り払われ

坐るな とっとと歩けと言わんばかり

 

四十年前の ある晩秋

夜行で発って朝まだき

奈良駅についた

法隆寺へ行きたいのだが

まだバスも出ない

しかたなく

昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると

その待合室に 駅長さんが近づいてきて

二、三の客にお茶をふるまってくれた

 

ゆるやかに流れていた時間

駅長さんの顔は忘れてしまったが

大きな薬缶と 制服と

注いでくれた熱い渋茶の味は

今でも思い出すことができる